私、ミハイル・フルンゼは、戦史研究家であると同時に
ロシアンソング集団パリャーノチカのバリトン・バス歌手です。
パリャーノチカが取り上げて演奏するロシアの愛国歌には、よく「歌なしの兵
士はなく、歌なしで前進もない」というような歌詞が出てくる。独ソ戦
(1941〜1945)期のことを描いた映画にも、よく歌が出てくる。独ソ戦
期にあらゆる場で唄われた「愛国歌ナンバー1」は、アレクサンドル・アレクサ
ンドロフが開戦の翌日までに作曲し発表した「聖なる戦い」(Священная война
)だ。
起て、怒れる祖国よ 起て、死闘へ ファシストの黒雲が わき上がり 大
地を覆わんとす 正義の怒りを いまぞ燃え立たせて 人民の戦いへ 聖なる戦
いへ いざいでゆけ!
3拍子の荘厳なメロディを持つこの曲は、アレクサンドロフが率いる赤軍合唱
団によって演奏され、またたく間に全国民の愛唱歌となった。出征兵士を送る町
や駅で、この歌は楽団によって演奏され、レニングラード市街を行進する労働者
義勇兵たちが唄いながら戦線へ歩いていった。
1941年12月のロストフ市争奪戦では、凍結した遮蔽物のない川の上を、
大勢のロシア歩兵がひしめき合いながら、「聖なる戦い」を高唱しつつ突撃し、
ドイツ軍の機銃火の前にバタバタと倒れた。この歌は、音楽家としてのアレクサ
ンドロフ少将の名を不滅のものとした。どちらかというと、彼を評価していな
かったドミトリー・ショスタコービッチも「アレクサンドロフもひとつだけは名
曲を生んだ」と「聖なる戦い」を評価している。
したがって、この曲、戦争を扱ったロシア映画にしばしば登場する。しかし、
一番印象的に使われたのは、1985年、対独戦勝40周年記念にモスフィルム
が製作した「モスクワ攻防戦」(約6時間の大作で、監督はこれも9時間の大作
「ヨーロッパの解放」のユーリー・オーゼロフ)だ。
モスクワにほど近いボロコラムスク戦線。1941年11月、ここにヘップ
ナー将軍率いるドイツ精鋭機甲部隊が全面攻勢をかけ、受けて立ったのがロコソ
フスキー中将指揮下のソ連第16軍。この戦線に、慰問にやってきたアレクサン
ドロフと赤軍合唱団は、正にドイツ軍の攻撃たけなわのタイミングにぶつかった。
アレクサンドロフ「同志司令官、我々は前線コンサートを開きにやってきたのです」
ロコソフスキー将軍「同志アレクサンドロフ、戦場でもうコンサートが行われて
いるのは、君にもわかるだろう」
ロコソフスキーは一計を案じ、通信部隊に電話線を引かせて、赤軍合唱団の演
奏を野戦電話で戦う部隊に聴かせることにした。壕舎の中で演奏される「聖なる
戦い」は、電話線を通じて砲兵隊、対戦車砲陣地へ…。砲兵指揮官は、自身も唄
いながら射撃命令を! 正に歌がロシア兵士を奮い立たせるというプロセスを見
事に表現したものだ。 |