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ボスニア戦争では、捕虜収容所の捕虜の映像が放映されたことによって、セルビ ア人悪者論が確定し、米国など世界の大国が「セルビアけしからん」論に走り、 国際情勢に大きな転機を与えた。 というわけで、カトケンも、流行を追って、捕虜収容所に潜入して、2枚の写真 を撮った。 しかし、これらの写真は、大事なポイントが抜けていた。 まず、鉄条網が前景として写っていないから、捕虜っぽくない、ただの疲れた歯 の抜けたおじさん写真なのだ。うーん、収容所には潜入せずに外から撮れば鉄条 網が前景に入ったのに・・・・。というわけにはいかない。この収容所は、鉄条 網ではなく、板壁で目隠しされて囲まれていたのだから。 また、撮ったのが、1994年12月下旬という真冬だったため防寒衣を着てい て、捕虜が痩せこけたかわいそうな感じに撮れてない。国際世論を動かしたあの 映像は、温かい季節だったためか、上半身裸だったので、痩せた感じが写ってい た。真冬の捕虜収容所のほうが悲壮感ある写真撮れるかと期待したのだが失敗。 1994年12月27日、ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部。 ボスニアとクライナの国境収容所にクライナ側から入って撮影。隠し撮りで2枚 しか撮れなかった。 ベリカクラドゥーシャ攻防戦で、アブジッチ派の捕虜になったボスニア第5軍団 兵士。 |