戦争・軍事 > 戦争・軍事東長崎外(国内)北海道

戦車兵神博行の自衛隊チェック125

(日米共同訓練、日米騙しあい)


『米陸軍25師団の歩兵と一緒に』


 平成元年に北海道の北海道大演習場にてアメリカ軍の第25軽歩兵師団(ハワイ
に駐屯する師団、全世界に派遣される部隊)と陸上自衛隊唯一の機甲師団である
第7師団と日米共同訓練が実施された。米軍の兵力より日本の兵力が上回る日本
で初めての演習だ。

しかも歩兵の米軍に対し、戦車部隊基幹の72戦闘団(72戦車連隊に増強された諸
職種の部隊が配属されたのが戦闘団)とが訓練する陸幕指定演習と言う大規模な
演習であった。
『米兵との交流』


 私は後にもこの米陸軍25師団と共同訓練を経験している。
歩兵部隊と戦車部隊の協同訓練は結構勉強になることが多かった。
この訓練を一言で言えばお祭り騒ぎだった、楽しい思い出も多かった。
 長期間演習場に寝泊まりし大変ではあったが、貴重な経験だった。
アメリカ兵を自衛官は「アメちゃん」と親しみを込めて呼ぶ、そんなアメちゃん
はハワイから来たせいか北海道の秋の寒さに寒がっていた。

一般的な米兵と会話するのに英会話が出来ない私は一生懸命会話を試み、喋れな
くても何とか通じると自信を持ったりもした、兵隊同士通じ会うものなのだ、別
れが辛くなる程交流を深めた演習であった。
『大きな玉を奪いとるゲーム』


 毎日機能別訓練とか訓練が行われる前、懇親会やゲームをやったり親睦を深め
ることも訓練前に行われた。
 日本の綱引きとか、米軍の「パンチボール」なんてゲームをやったが盛り上
がった、日本には無いゲームだ、エキサイトして危険だ。
 集団で足並みを揃えて走る例のレンジャーコールが聞こえて来た、こちらも負
けずに米軍キャンプに走って行ったが写真を撮られたりちょっと恥ずかしかっ
た、急いで戻ったこともあった。
『米軍とコンバットを組む部隊との懇親会で餅つき』


 懇親会では米兵といろんな催しをやった、戸山流居合を見せ米兵を怖がらせた
り空手の型を見せたり、日本食を食べたりした。
宴もたけなわになった時、米軍のハマーのボンネットに米軍の先任下士官が飛び
乗った、米兵は「シーッ、シーッ』と静にとジェスチャーしている。先任下士官
の言葉は神の言葉のようだった、映画の1シーンを見ている感じがした、先任下
士官は我々自衛官を米軍のキャンプに招待すると言っていたようだった。
 私は仲良くなった米兵と肩を組み軍歌を歌った『ジーン、ユーア、ミュージ
シャン?』と言われた。
 米軍キャンプは天幕暮らしでは無く、プレハブで大型テレビもアメリカの番組
が流れていた、そこはアメリカだった。
『アメちゃん(アメリカ兵)との交流』


 そんな中、私の後輩は不良米兵に騙されていた、米兵とはチェンジチェンジと
戦闘服や物品を交換するのが常だった、私も随分チェンジした。
すると片隅で無修正の雑誌を見るスケベそうな米兵二人組が居た、後輩の仮に小
松いやC1士と呼ぼう、C1士はそんな米兵の本に感動しチェンジチェンジと
やったら拒否された、千円で売ると言う、Cは迷わず買った。もっとあるが3千
円出せは後日渡すと言う、Cは迷わず3千円を手渡した、約束の日幾ら待っても
米兵は来なかった、悲喜こもごもであった。

続く