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戦車兵神博行の自衛隊チェック93

(東千歳の連隊旗手)


『後方支援連隊の連隊旗手は大変そうだった』


 一番大変なのが連隊旗手である、連隊旗が雨に濡れ重くなっているのに風で翻
り竿がしなる、応援団旗を掲げる旗手と同じだ。
戦前の陸軍なら連隊旗手は陸士を優秀な成績で卒業した少尉が任される名誉ある
任務だ、大元帥たる天皇陛下から直接賜った軍旗は連隊の象徴で旗がボロボロで
房だけになっても取り替えることは無い、かえって連隊の歴戦の記しで名誉なの
だ、旗手にしてみれば軽くて楽だが任務は重い。

自衛隊の連隊旗は最高司令官たる総理大臣が授与するらしいが代理が渡している
のかも知れない、旗手も防衛大卒じゃなく陸曹が多い。
『戦車の上でも旗手は大変だ、一本釣りのように竿がしなる』


 隊旗は竿を地面に付けて立てている、連隊旗は大きく腹で支える。
旧軍の連隊旗は戦闘で房だけになったのか、それとも他の理由があるのかいろい
ろ伝説がある。
しかし自衛隊は戦闘経験も無く、いつも連隊旗を掲げている訳では無い。記念式
典の時ぐらいしか目にしない、訓練でも訓練初めとか特別の時しか出さない。
『巡閲する7師団長』


 師団長はレンジャーバッチを付けている、きっと隊員の気持ちも理解している
のだろうと思ったが、こんな天候でもしっかり長々と訓示していた。臨機応変で
は無いな、誰も師団長の話なんて聞いてないのは当たり前だろう、むしろ短い訓
示の方が一生覚えているものだ、余り隊員の気持ちの解らないタイプなんだなと
思った。
『師団長へ敬礼する第七師団の隊員』


議員の祝辞ですら短めだったのに、長かったら投票しないけどね!
『動き始めた戦車の上でも旗手は大変だ!』



 昔、北恵庭駐屯地司令兼第一戦車群群長の水上一佐は春先の駐屯地朝礼で一言
『春は近い頑張ろう』と言って降壇した、今でも名前と訓示をはっきりと覚えて
いる、他部隊の群長で駐屯地司令と言っても顔も知らないのが普通だが記憶に
しっかり残っているのだ。

後に水上一佐は11戦車大隊の大隊長をしていたのを知った、先輩の陸曹はとても
良い大隊長だったと懐かしそうに言っていた。
たった一言の訓示で強い印象を残すのと、雨風の強い中、長々と訓示して恨みを
残すのとどちらが名指揮官かそれだけで解る、第七師団の隊員や来賓、観客全員
が濡れているのに自分の言いたいことは長々ときっちり訓示するのは役人的な自
衛官だと濡れながらに思った。

続く